「シンデレラガールズ大喜利会」 いい人たちに会いに行く

シンデレラガールズ大喜利会」
というあつまりがある。
そう言ったら、
どんなイベントなのか、
どんな様子なのかについて
興味を持ってもらいました。
参加した、いろんな人が、
その都度それぞれの感想を言っていて、
べつにいまさら書くことでもないけれど、
「デレマス大喜利」そのものについて、
ちょっと立ち止まって考えてみようと。
これをちゃんと忘れて、
つぎのデレマス大喜利会を
心待ちにしようと思います。

デレマス大喜利会とは、
ゲーム「アイドルマスター シンデレラガールズ
の情報を組み込むという条件のもとで
大喜利をするのがこのイベントです。

大喜利に制限を課す、
これが、大喜利をすこし難しく、
そしておもしろくしてくれます。
僕はデレマスを遊んでいるから、
ふだん普通の大喜利をしている人より
ほんのすこしだけ、
この大喜利がしやすいのです。
だから、そういう人よりもちょっとだけ
うまくやれるんじゃないかって、
なんかずるいことを考えながら会場に向かっています。
でも、そんなうまくいくことってないんですよね。
結局は大喜利だから、
おもしろいことを言うことがだいじなんです。
その答えが、デレマスに沿っていればいいだけで。

大喜利はじぶんがもつ知識のすべてを活用できます。
そして、デレマスにはたくさんの情報があります。
デレマスはゲームですから、
ゲームが得意な子がいたり、
マンガを描く子やアニメが好きな子がいます。
ほかにも、野球が、サッカーが、バスケが好きな子。
音楽や将棋、オカルトが好きな子もいますし、
水産業の会社の娘さんや
牧場の娘さんがいたりもします。
たくさんの情報があると言ったのは、
あらゆる情報をつつむ風呂敷として
シンデレラガールズ」があるということです。
大喜利の答えにじぶんの知識を出力するときに、
デレマスに登場する誰かを通す
というだけなんですね。
その「誰か」を覚えれば誰でもたのしめる。
じつはそれだけ自由であるというが
デレマス大喜利の好きなところです。

第2回デレマス大喜利会は、
僕がたしか、2回目に参加した大喜利イベントです。
この前に「多摩地区大喜利
という会に参加しました。
そこでの大喜利がほんとうにおもしろくて、
大喜利を好きな人がたくさんいたのがうれしくて、
そしてじぶんがそのとき
うまく大喜利ができなかったことが
悔しくて悔しくて、
それから大喜利というものに
ハマっていくことになりました。

デレマス大喜利があると知ったとき、
デレマスというフィールドならば
ほかの人より抜きん出ることが
できるかもしれないと思っていました。
でも、多摩地区大喜利を経験して、
ちゃんと大喜利ができるようになりたい、
と思うようになっていました。
デレマスを遊んできたという
アドバンテージを取り除いて見ても、
遊んだことがないという人より、
ちゃんと、いやすこしでも、
ほんのちょっと、
なるべく、
おもしろいことが言えたらな、
そう思って参加したのを覚えています。

僕が大喜利を見ていて
「おもしろい!」と思う瞬間は、
そのひとの答えが「わかった」ときです。
この答えがおもしろいのは
どうしてだろう? と考えるんです。
この言葉がおもしろいんだろうな、とか、
この文章の流れがおもしろいなあ、とか。
お題に対してぴったり合った
答えの形を見たときも
おもしろいなと思います。
逆に「よくわからないけどおもしろい」
ということもあって、
そういうときは
「わからないからおもしろいんだ」
と思うことだってあります。
それぞれです。
デレマス大喜利は、
その「おもしろいがわかる」ために、
キャラクターを知らなければいけない、
という「わかるための手順」が
ひとつ増える難しさがあります。
デレマス大喜利の難しさは、
もしかするとこれだけかもしれません。
ここが複雑になればなるほど、
見ている人に伝わらない気がします。

デレマス大喜利会のよさは、
その難しさである
デレマスの部分を知っている人が
あつまってたのしんでいることと、
知らないけどおもしろいことを言いたい人が
知らないことに向き合ってくれること、
そういう思いやりみたいなもので
成り立っているってところなんじゃないかな。

いつも来てくれる人、
久しぶりに見る人、
会うのが初めての人、
実力に信頼があって安心できる人、
何をするかわからなくて
ハラハラワクワクする人、
いろんな人が
デレマス好きにも
大喜利好きにも
潜んでいるのです。
そんないい人たちに会いに行く、
それをたのしみに、つぎのデレマス大喜利を待っています。